介護を考える

介護を考える|「がんばる介護」と「がんばらない介護」|こまぶろ

2019.07.08.更新

ようこそ「こまぶろ」へ!管理人のこまめです。

今回は私の個人的な介護に対する考え方をお話ししてみようと思います。

たまたま職場の友人(お母さんが要介護1)と介護について話す機会があり、置かれている状態の違いこそあれ、皆さん精一杯介護に向かい合っているのだな・・・という思いを強く持ちました。

 

 

このとき話題に出たことが「がんばらない介護」についてなのですが、言葉を額面どおりとらえると、介護の手抜きをするといような意味にとらえられそうなのですが、ほんとうのところは「がんばり過ぎない」介護という意味なのだと私は考えています。

 

私の場合、母の介護は「がんばる」つもりでいるのですが、よく言われる「一人でかかえこんで」頑張る介護ではなく、少し違った方向へ頑張るつもりなんです。

「一人で様々な問題をかかえこんで、先が見えなくなるような頑張り方をしてしまう」場合は「がんばらない」ことが必要でしょうし「がんばりすぎない」ことが大切なのだと思います。

これから書く記事は皆さん向けではなく、どちらかといえば自分向け、あるいは私が介護が必要になった場合の家族向けのメッセージになりそうな気がしています。

ついつい考えてしまうこと

私は介護のことを考えると、最期のことまで併せて考えてしまいます。

 

 

介護のことを考えるには、かならず訪れる「死」というものも考えておかなきゃいけないのかな・・・。といった漠然とした理由です。

 

一般的には、高齢化→介護→やがてやってくる「死」という流れがあると思います。

私の個人的な考えですが。

どうやって「死」を迎えたいかを考えることは、介護のありかたを考えるにあたってとても大切な要素だと思っています。

私の課題

当面の私の大きな課題のひとつは「母の介護」のことです。

ネットでいろいろ調べてみると「かんばらない介護」という表題をよく見ますが、たぶん私は母の介護度があがると母のために頑張ってしまうと思います。

ひょっとして妻のFkちゃんが、私より先に介護を必要とする状態になったら、母に対する以上に私は頑張ってしまうでしょうね。

必ず頑張ってしまうのですが、どんな方向に向かって頑張るか? あるいは、どこまで頑張るか? これをしっかり考えなきゃいけないように思います。

 

今後、仮に母が認知症を発症し症状が悪化すれば、若い頃の母、あるいは今の母とは違った母になってくるでしょう。

 

 

しかし今の母は幸いにして、要支援2でまだ普通に会話もできるため「要介護度が高くなったとき」「認知症を発症したとき」「終末医療」についても、おりを見て話をするようにして母の気持ちを正しく把握するようにしています。

きっとこういった会話は、母自身の考えを整理していくのにもつながるでしょうし、私自身の将来を考えるためにも役立つような気がしています。

また私の兄弟は、私と弟の2人ですので、こういった話をするときは、母を交え3人で話をするようにしています。

軽く、サラッと・・・母が負担に思わないようにね。

最期を迎えるとき

母と私は、介護あるいは終末医療についての考え方はほぼ一緒のように捉えています。

いままで母となんども話をしてきた内容をまとめると以下の3点になります。

①要介護度が高くなったら、なるべく早めに特養などの施設に入りたい

②自力でできることは、多少の障害があっても自分で行い、最期まで自立を目指したい

③死は自然に迎えたい(自然に食べられなくなり、自然に呼吸が止まる状態を望む)ので「人工呼吸器」「人工栄養法」「人工透析」などの延命治療は行わない

④「苦しい」「痛い」といった症状に対する対処は行ってほしい

 

私の思う「がんばりかた」

介護について考える場合

いまの母の希望は

「①要介護度が高くなったら、なるべく早めに特養などの施設に入りたい」

 

「②自力でできることは、多少の障害があっても自分で行い、最期まで自立を目指したい」

ということだと捉えています

たぶん裏には「家族に介護の負担をかけたくない」という優しい気持ちがあると思っています。

先に書いたように、母の介護度があがれば私は間違いなく頑張ってしまいますが、一人で母の介護を全て行おうなんてことは考えません。

今までの64年の人生で理解したことのひとつに「ひとりの力なんて知れたもの」ということがあります。
母のために私一人で出来ることなんて、たかがしれたものです。

大切な母のために私一人で限界のある介護をするなんてことはできません。

母の介護度があがって私の頑張れることは

・家族に相談する
・かかりつけ医に相談する
・地元の地域包括支援センター(ケアマネージャー)に相談する

この3つを実行することです

幅広い分野の様々な知恵を借りて、母のために最適な介護をすることが私の頑張れることだろうと思っています。

いまの母

いままで、このブログの記事で書いていますが私の母は今年(2018年)で89歳です。

私の母方の祖父・祖母はいずれも84歳で亡くなっています。

祖父は病死

祖母は交通事故死

伯母(母の姉)は今年(2018年)の11月に102歳(老衰)で亡くなっています。

血縁者の寿命を考えると、世間の平均か少し長寿の家計なのかな・・・? と思ったりもしているところです。

母の状況をもう一度整理してみると

・89歳

・要支援2

・2017年5月に屋内で転倒し、圧迫骨折が5ヶ所見つかり未治療のまま現在に至る

・圧迫骨折で体が歪んでしまっている以外は、身体的な障害、病気は無く常用薬も無し(血圧は少し高い)

・デイサービスは週に1回お世話になっている

・サ高住で主に生活をし、たまに長男(私)の家に泊まりに来る

・サ高住と私の家は車で15分くらいの距離

・サ高住の生活は気に入っている様子

・サ高住で仲の良い友人が一人できた

・サ高住の部屋にお風呂はあるが、あまり利用していない様子(隔日くらいか?)

・サ高住では週に一度、洗濯と部屋の掃除をしてもらえる

・サ高住から一人での外出はなく、外出の必要な場合は私が付き添うようにしている

 

母の言動で心配なこと

・春夏秋冬がわからなくなることがある(ずっと空調の効いた施設内で暮らしているので、季節を体感できないのが原因かな?)

・年月日、曜日を認知できないときがある

・新しい事を覚えられない(覚えたくない、覚えようとすることが辛く感じるようです)

・直近のことを覚えていられない(思い出せない)→お饅頭を2つ買っていき、翌日話を聞くと、1個しかもらっていないし、1個しか食べていないと言う(ゴミ箱には2個分の包装紙が捨ててある)

・「今」のことしか興味が持てないようです(今日食べる「おやつ」のことなど)

・周囲に対する注意力がかなり散漫になってきています(買い物に行くと通路の真ん中で立ち尽くす)

・計算力が衰えている(日頃、計算する機会がないからかな?)

・字を間違える、思い出せないことが多くなった(日頃、字を書く機会がないからかな?)

・洗濯、掃除をしなくても平気になってきた(以前はキレイ好きで、いつも掃除をしていたが週に一度のスタッフによる掃除で満足の様子)

将来のことは誰にもわかないのですが、最近MCI(軽度認知障害)なのでは?と思われる様子も見られため、慎重に様子を見ながら、早めに医療機関を受診できるよう準備をするつもりです。

 

皆さんへ

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

私は、母の介護あるいは他の大切な家族たちが要介護の状態になったら、全力でがんばります。

しかし私なりに考える最良の介護をするために頑張るつもりです。

決して一人でなんとかしようなんて考えません、一人の力なんて所詮しれたもの、大切な人のために家族、行政(地域包括支援センター)などの力を借りるつもりです。

すでに今(2019.07.)の私は定年を迎え、パートタイマーで、それなりに自分のペースで仕事ができるようになっていますが、現役のころは自分なりに頑張って仕事に就いていたと思います。  しかし、いくら一人で頑張っても所詮できることに限りがあります。

会社の同僚、あるいは先輩・部下、取引先、あるいは会社のカンバンの力を借りて仕事を進めなければ良好な結果を得ることが難しいということを学んできたつもりです。

介護もいっしょ!

行政も含め、皆さんの力を全部借りて行うのが私の頑張りかたです。

 

様々な事情を抱えて介護に取り組んで、悩んでいらっしゃる方も多いと思います、一人の力は限界がすぐにきます。

ぜひ、家族や行政などに相談してもっと良い介護のありかたを考えてみましょう。

 

2019.04.03.

母は相変わらずサ高住で平穏に暮らしています。

最近、ふと思ったのですが、このブログを始めたのが2018年の秋。

最初は毎日更新して!と肩に力が入っていましたが、やはり毎日の更新はできず、若干あせりながらブログの運用をした時期もありました。

今では、マイペースで空いた時間に書く程度にしています。

ブログのことも、頑張りすぎていたのかな・・・

今になって、やっとブログを続けて行けそうだな。と思えるようになってきました。

 

この記事が皆様のお役に立てますように。

こまめ

関連記事はこちらから